勉強できる子にしたかったら、宿題をさせないで

一般的な公立小学校の宿題といえば、漢字ドリル(以下カド)・計算ドリル(以下ケド)・音読でしょうか。

うちの子の通っている小学校の宿題も、もれなくこの3つの宿題がほぼ毎日出ています。

家庭学習として、カド・ケドはふさわしくないと考え、うちでは特に低学年の間はカド・ケドはさせないという結論に至りました。

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カド・ケドをさせないという選択

定番の宿題:カド・ケド

上の娘が小学校に入学して、最初の頃は、宿題はするもの、してあたりまえと考えていました。

私自身が小学生のころも、宿題といえば、漢字ドリル・計算ドリル、たまに先生お手製のプリントといったものでしたので、カド・ケドは小学生の宿題としてあたりまえのものだと思っていました。

小学校に入ってすぐは、ひらがなの学習から始まるので、もちろんカドは宿題には出ませんが、ひらがなのプリントが毎日出ていました。学習が進み、カド・ケドの宿題が出るようになりました。

1年生から6年生まで、宿題といえばカド・ケド・音読です。(自主学習ウィークというのが年に2回ありますが、それはまた後述します。)

最近はどこの小学校もそうなのかわかりませんが、宿題の丸付けは親が終えた状態で提出しなければなりません。私も、最初は疑いもせずに、娘にその日の宿題に指定されたページのカド・ケドをさせ、丸付けをしていました。

だんだん漢字も複雑になってきました。丸付けも甘いと先生のコメントでダメ出しされます。とめ・はね・はらいにチェックが入ります。

親の私も丸付けが厳しくなります。書き順やとめ・はね・はらいをすべてチェックしなければいけません。たったのカド1ページの宿題が遅々として進みません。

私はふと、こんなに書き順やとめ・はね・はらいを細かくチェックしなければならないのか悩むようになりました。

ケドに関しては、宿題のやり方が印刷された紙が、ノートの裏表紙に貼ってあります。日付の位置、ページ番号の位置、問題の写し方等、細かくフォーマットが決まっていて、その通りに書いてないだけで、その宿題がやりなおしになったりします。

ドリルに直接書き込んではダメ、答だけをノートに書くのもだめ、問題をノートに書き写さなければなりません。

小学校低学年の子供には書き写すという行為だけで、消耗してしまいます。

問題そのものも、じっくり考えて解くような問題ではありません。問題を書き写す作業をして、計算も作業的にこなしているだけのように見えました。

学校の先生は指導者ですので、一定の規則や規律を子供たちに伝えなければなりません。漢字の細かい指導も先生としては当然の指導なのでしょうか。ノートの使い方や日付を書く位置まで指定するのも指導の一環としてでしょうか。

そういったことにもだんだん疑問が生じ始めた私は、宿題をする娘との格闘をやめるべく、カド・ケドの宿題はさせない、という選択をするに至りました。

カド・ケドで親子関係悪化・親は鬼軍曹と化す

子の宿題を親が丸付けする、ということは、親子関係を険悪にするには充分な要素です。

親は学校で言われた通りの方法を子供に習得させなければなりません。カド・ケドは勉強ではありません。

学校で先生に言われた通りのことができるかどうかの訓練です。親は鬼軍曹になって、子の訓練を見届けなければなりません。

学校は親子関係を悪くするためにカド・ケドの宿題を出すのでしょうか。

子が宿題をやらないと嘆いている親さんは多いことでしょう。実際グーグル検索で「宿題」といれただけで、検索候補が「宿題やらない」「宿題させる方法」などと表示されます。

宿題は勉強ではありません。訓練です。

そんなに訓練させたいですか?

宿題しない子=悪い子、勉強できない子というレッテル

宿題してこない、というだけで、なんだかもう悪い子というレッテルがはられたり、勉強についていけてないなどと言われます。あげくに、学校をなめているとかばかにしているとかも言われます。

宿題提出が班の連帯責任になって、やってこないと班のメンバーに責められたり、昼休みや放課後居残りで終わるまで帰れなかったり、宿題しないだけで罰が与えられることもあります。

それだけ宿題しない=悪いこと、ととらえれられています。

  • 宿題をしないのは先生をばかにしている学校をなめている
  • 宿題しないと勉強できない子になる
  • 小学生のうちからきちんと宿題を出さないと、中学や高校で提出物を出さなくなる、内申点が悪くなる
  • 宿題は先生との約束事だから、宿題をやらない・出さないのは先生との約束を守らないこと

先生との約束って、意味がよくわかりません。どれもこれも論理的に破たんした内容ではないでしょうか。

宿題を提出することは、子供の責任能力を養うという意見もありますが、宿題の提出でなくても責任能力を養うことは可能です。

学力向上に貢献しない無駄な宿題で子供の大事な時間をつぶすことよりも、宿題を提出することによる責任能力の養成のほうが大事でしょうか?

家庭学習は親の責任

宿題をやらないという選択肢は子供には与えられないのでしょうか。宿題をすることは子供の義務なのでしょうか。

義務教育の義務は親が負うべき義務です。子は教育を受ける権利を持っています。

ということは、家庭学習として行う勉強方法や内容も選択する権利があるのではないでしょうか。もちろん、判断能力が低い小学生に何でも選択させられませんし、子の権利だからとなんでも許容していいことにはなりません。

子の学習にも親が責任を負う義務があるのです。家庭学習を学校任せにしていて良いのでしょうか。たくさんの親がここに疑問を抱けば、子供たちの学力はもっと伸びるのではないでしょうか。

学校は勉強を教えてもらうところで、学力をつけるところではありません。学力をつけられるのは、家庭学習だけです。

家庭学習はカド・ケドの宿題では、全く不十分で、それどころか害とさえなりうるのです。

そもそも宿題って何のために出されるのでしょうか。

学校の学習内容を定着させるため?最低限の学力をつけるため?カド・ケドである必要は全くありません。

もう江戸時代ではないのです。読み書きそろばんの時代ではないのです。200年以上前の寺子屋学習では学力は上がらないのです。

私たちが子供のころから家庭学習の内容が変わっていなくて、なおかつ子供たちの学力が低下しているということは、カド・ケドを家庭学習の中心として学校が宿題を出しているからなのでは?

不公平感が出ないように、とりあえず何か宿題を出さないといけないから、カド・ケドを宿題にしている、という全く子供達のためになるどころか学校の都合的な理由で宿題が出されているようです。

元教員のトウマコさんが宿題について書かれた記事がとても参考になります。

特に最後のほうの、「じゃあ家庭の責任で子どもに学校の宿題やらせなくてもいいの!?」のあたりから読んでみてください。

トウマコさんのブログ

子供の学力について、学校や塾まかせにしないで、もっと、宿題や家庭学習について親が責任を持つべきではないでしょうか?

勉強とは訓練ではないのです。

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